10月11日の東京競馬場。第9レース1400芝の相模湖特別は、私にとって大切な、とても大切なレースでした。
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2007年7月28日、新潟での新馬戦を勝ったフォーチュンワードは8月11日のダリア賞に出走、11番人気ながら2着と好走しました。9月29日、中山での芙蓉Sでは、一番人気のスマイルジャックを退けての勝利を決めます。そして東京に舞台を移してのGU、京王杯2歳Sで4着。いよいよ暮れの中山、GTの朝日杯FSに駒を進めました。
「外にもたれて追えませんでした。ハミを工夫したほうが良いのではないでしょうか」
6着に終わったレース後、松岡騎手は彼女のレースぶりをこんな風に言ってくれたのですが、今思えばおそらく、外にもたれていたのは、すでに骨折していたからではないかと思います。故障していたのに外にもたれながらも6着。彼女の根性には頭が下がるばかりです。
美浦の厩舎に戻った翌月曜日の朝、古賀慎明調教師が歩様の異常に気がつきました。
「痛みを見せなかったので、跛行しているのを見たときはドキッとしました。すぐにレントゲンを撮ったら膝の板状骨折。手術はできるだけ早くと、その週のうちに行いました。しかし、彼女はそれまで痛がる様子も見せなかったのです。何と言うか、彼女の精神力の強さを改めて感じました」
美浦トレセン診療所での手術はうまくいきました。
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今でもヒザにはボルトが入っています。 |
「実は手術をしてくれた先生は麻布獣医大卒業。僕もそうですし、社長(私のこと)も麻布獣医大ですね」
そうなのです。古賀調教師のご指摘の通り、見事な麻布ラインで繋がっていました。手術は成功。板状骨折は普通、能力喪失、つまり“競走馬としてはあきらめる”ことになるのですが、彼女の場合、運良く骨がずれていなかったのです。すぱっと真ん中が割れてしまうこのような骨折は“崖崩れ”と言われるように骨がずれてしまうと、もう手の施しようがありません。でも、彼女の場合はずれていなかった。だから長さ1.5センチ、太さ3ミリのボルトで固定できたのです。
入院した彼女は脚に負担がかからないよう、食事を控えなければなりませんでした。食欲旺盛だった彼女にとってはとてもつらいことだったと思います。古賀調教師が、
「彼女はヤギですか?」
と呆れていましたが、入院馬房に敷かれた新聞紙まで食べていたようです。いかに食いしん坊かわかりますよね。でも、この旺盛な食欲が生命力の強さでもあるのでしょう。
とはいっても、彼女の食欲のままに食べさせるわけにはいきません。年明け早々に美浦から牧場に戻ってきましたが、食事については苦労しました。2ヶ月間は外に出ることもできず、馬房の中に立っているしかないのですから、負担を減らすためにも、エン麦を抜いて、なるべく体重を軽めに維持することに努めました。でも、何せヤギです。紙でもなんでも口にしてしまいます。腹痛を起こしては、我々一同、冷や汗をかかされたものです。
運の強さや食欲だけでなく、彼女の回復力にも驚きました。JRAの診療所からは“一年の休養が必要”と診断されたのに、5月にはすでにコースで乗り始めていました。古賀調教師も驚く回復ぶりでした。
「速いところもできるようになったし、この分なら、9月には美浦に戻れそうだね」
「ということは10月にはレースですか」
しかし・・・。9月に今度は股関節を痛めてしまったのです。
そう言えば、お母さんのコパノオマモリも股関節を痛めて競走することができないまま、美浦の藤原辰雄厩舎から牧場に戻ってきました。コパノオマモリは千代田牧場を代表する牝馬、ビクトリアクラウンの最後の子です。そして父は私の大好きなエリシオ。強い思い入れのある馬です。最初の相手にはデヒアを選びました。理由は立派なトモが欲しかったからです。そして生まれたのが、馬格も超一級のフォーチュンワード。
さて、その後、彼女は股関節の具合も良くなり、12月には千葉の牧場で再び調教を開始しました。
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2009年1月24日の中山競馬場。第11レースのアレキサンドライトS(ダート1800)。カジノドライヴが楽勝したレースとして記憶してらっしゃる方も多いと思います。馬場は不良、フォーチュンワードは9番人気での出走でした。レースは出遅れて最後方から。しばらくして1頭は交わしたものの依然後方まま。しかし初ダートにもかかわらず、しっかりとした脚取りで追い上げる直線での姿には間違いなく能力の高さを感じました。一年前に牧場に戻って来た時の体重は450キロ、このレースでは488キロでした。
古賀調教師に当時から順に振り返ってもらいましょう。
「ともかく一年ぶりです。その時季の芝の状態などを考慮して、まずはダート戦で復帰することにしました。着順は8着でしたが、無事にレースを終えることができて良かった、という思いが一番でしたね」
その後、結果はなかなか出なかったものの、脚元のもやもやもなく、特に心配するようなことはなかったようです。
「日頃のケアは他の馬たちと同じです、何も特別なことはしませんでした。骨膜が出ることもなくて、あとは結果を出すのみでした。オーナーのためにも何とか勝たせたい、そんな思いです」
「確かな手ごたえを感じたのは、8月29日、新潟の芝1800、三面川特別でしたね」
その次の中山でのレースでは、ゴール手前、前が壁になってしまい5着。しかし勝利は確実にすぐそこまで来ていました。
「日頃は大人しいのですが、ジョッキーが乗ると顔つきが変わるんです。カチッとスイッチが入って戦闘モードになる。馬房ではおっとりしていてかわいいのに」
「相模湖特別の勝利で、彼女は本来いるべきクラスに戻りました。さらに上を目指してがんばって欲しいと思っています」
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中山での復帰戦では、返し馬に行く彼女を見ながら私は泣きました。うれしくて、ただうれしくて、涙が止まりませんでした。立派な馬体、豊かな才能、そして強い運勢の持ち主である彼女には、これからも元気で、オーナーのために、そして多くの競馬ファンのためにがんばってもらいたいと思います。里見オーナーは一年という長い休養期間、あたたかくそして静かに、彼女と私たちの努力を見守ってくれました。感謝の気持ちでいっぱいです。
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表彰写真は誰もが満面の笑みでした(左端が私)。彼女もうれしそうでしょ? |
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こちらは彼女に「フォーチュンワード」の名前を
くださったファンの方から届いた素敵なイラスト。
本当にありがとうございます。 |
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これからも応援、どうぞよろしくお願いします。
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