2010 #06
〜休むことを知らない男、その名は二ノ宮敬宇〜
祝・JRA通算500勝 おめでとうございます
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私を○○と呼ぶ人シリーズ3人目。この人は私のことを藤澤調教師や国枝調教師のように専務とは呼ばないし、社長とも呼びません。“あんた”と呼びます。 例えば、北村宏騎手に対してもそう。デビュー当時、二ノ宮厩舎の馬に騎乗したので挨拶に出向いたところ、
「こんにちは先生、先週はありがとうございました」
「あれ、あんた誰だっけ?」
以来、未だに彼も北村ではなく“あんた”と呼ばれているようです。口癖、ですかね。でもいかにもムッシュらしい。あ、ちなみに私は彼のことを“ムッシュ”と呼んでいます。その理由は後ほど。
1978年にムッシュは美浦で橋本輝雄厩舎の助手となります。その頃、私は頻繁に美浦に行きましたので、馬場でよく顔を合わせました。メットにチャップスが彼のお決まりのスタイル。これが似あわねー、って。そう、今回は誉めません。だってムッシュだから・・・。ともかく、ムッシュは1990年、めでたく調教師免許を取得。その後すぐに北海道の牧場に来てくれましたが、
「ラーメン食べてスープ飲んで、チャーシューつまんだら、あんたのこと思い出した」
と、私の家で食後のコーヒーを飲んでいったのです。一度だけではありません。度々来ては、馬も見ないでコーヒーを飲み逃げしようとするのです。
「たまには馬も見ていってよ」
「え、コーヒーだけでいいよ」
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新馬勝+特別2勝を挙げたサーキットレディと。左端がムッシュです。 |
このように変なヤツですが、もちろん、北海道の牧場でコーヒーの飲み逃げをしていただけではありません。調教師見習いの間、ムッシュはイギリスのマイケル・スタウト厩舎へ勉強に行っています。3ヶ月の間、寝藁上げといった肉体労働までこなしていたようです。イギリスだけでなく、アメリカにも行きました。そこでも、同じように身を粉にして力仕事も進んでやったとのこと。でも、そんな努力もむなしく、開業から最初の3年間は恵まれませんでした。なんと、1990年は2勝、これはJRAのワースト記録かもしれません。その後、引き継いだ厩舎の古い体質を変えるのに、3年という時間が必要でした。我慢強く、じっくりと自らの力で厩舎を自分の色に変えていきます。
結果、1997年にエルコンドルパサーがデビュー。5連勝でG1-NHKマイルCを優勝しました。98年にはジャパンCを勝ち、翌年、フランスへ遠征します。目標は凱旋門賞。皆さんもご存知のように、この遠征は長期にわたりました。フランスでの緒戦は5月23日、ロンシャン競馬場でのG1イスパーン賞。その1ヶ月前から現地の厩舎で調整されていた馬のチェックに、二ノ宮調教師は日本から度々フランスへ通います。10月4日の凱旋門賞までの7ヶ月間に、日本−フランスを何と、13回も往復したのです。
「もしも〜し、あんた元気? ボクさ、今フランスから日帰りで帰ってきたの、馬は元気だったよ」
なんて電話がきたことも。日本の厩舎も留守にするわけにはいかないから、日本−フランスを日帰りしたこともあったのです。しかもホテルから厩舎まで自転車で通い(健康オタク)、こけて骨折までしています。その上、肋骨の骨折に気がついたのは、日本に帰ってからという無茶ぶり。 このフランス遠征から、私は二ノ宮調教師をムッシュ、と呼んでいます。
それにしても、日帰りはきつ過ぎるでしょう。その後、スシトレインという馬がデビューから強い勝ち方をして、アメリカ遠征の話が持ち上がった時のこと。
「ムッシュ、アメリカ日帰りなんてしたら、今度こそほんとに死んじゃうぞ」
フランスはまだいいのです。直行便で行けるシャルルドゴール空港から車で40分、シャンティーに向かえば馬がいる。でも、アメリカの遠征先となるケンタッキーへの直行便はありません。シカゴかどこかで乗り換えです。フランス遠征と同じことをしたら、本当に死んでしまうかもしれません。
しかし、私の忠告など聞かないのがこの男。何せ動いていないと気がすまないのです。休むのがいやなのです。じっとしていないのです(私みたい・・・)。海外だけではありません。日本にいる時も、土曜日の午前中は府中競馬場、急いで中京の午後のレースに駆けつけて、その脚で京都に向かい、翌日曜日の朝一は京都でレース、東京の最終レースに駆けつける、何て事もやります。だって新潟競馬場から新潟駅まで(20キロ以上)、運動不足だからとジョギングするヤツですから。しかも戻りはタクシーという変なヤツ。
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牧場で腕前を披露するムッシュ |
だから、薄くなるのです。何がって、頭です。私の先輩でダービーを2度も勝っている偉大なM調教師とムッシュは、髪の毛の話などして盛り上がります。M先輩、最初のダービー制覇のときはそんな気配を感じさせませんでしたが、二度目で一気にいきました。三冠のプレッシャー恐るべしです。
「おい正剛、今度アメリカへ行ったら、馬は買ってこなくていいから、必ずロゲイン買ってこいよ」
と言われて、レキシントンの薬局やスーパーを、ロゲインを求めて廻ったことがありますが、日本人が買ってしまうのか、なかなか見つからなかった記憶があります。その後は苦労して手に入れたロゲインの効果でしょうか、M先輩は少し毛が生えてきたような気がしないでもありませんが、ムッシュのほうはショートカットにしてごまかしています。そういえば、前回のコラムにご登場いただいた方も、かなり薄くなってきていますね。あれ、もしかしてダービーを2度獲る人についての新法則を発見したかも。
馬の話もしましょう。ムッシュのところには外国産の快速馬を預かってもらっています。フェミニンガール、モアザンベスト、サーキットレディ、そしてソングオブプライズなどなど。牧場に来ると、ハミ受けをチェックし、千代田牧場の初期調教の良さを誉めてくれます。
そういえば度々、夕方にサンダルで牧場に現れました(もう馬の話じゃなくなっちゃった)。
「これから温泉に行くから、バスタオル貸して」
もちろん、返してもらったことはありません。私の家から、いったい何枚のバスタオルを持っていったことやら。あのムッシュやろう!
〜ムッシュからの反撃〜
「あんたさ、顔が脂ぎっているよ、まあ別にいいけどね」
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「千代田牧場の朝礼は8時半から。ボクは外で待って、終わるとニコニコ顔のあんたと事務所に帰ってコーヒーをご馳走してもらう。朝礼が終わるとさわやかな顔なんだよね、あんた。きっと、従業員にでかい態度でいろいろ指示とかして、“やったー”って満足しているからでしょう、ちがう?」
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「馬主、牧場主、獣医師、調教師、一家の大黒柱・・・。普通の人に比べたら、ずっと様々な顔を持っている。その上、馬に関していろいろな角度から、あらゆることを知っている、知りすぎている。だから、お節介もする。知っているから、余計なことも言いたくなるんだよね」
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「あれだけの所帯をひとりで束ねられるのは、あんたくらいでしょう。ひとりで切り盛りしている。すごいことだよね。・・・いろいろな顔を持っているけど、一番なりたかったのは調教師じゃないの!?まあ、ボクみたいに成功しなかったかもしれないけどね、ハハハ」
「すすき野を一人でぶらぶらしていたら、会ってしまいました。あんたも一人だったよね。あの広いすすき野でばったりだよ。ボクたち、赤い糸で結ばれているんじゃないの?」
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私 「もし私が調教師になっていたら、今頃、一緒に調教師会の役員だったりして」
ムッシュ 「やだよ、そんなの。意見が合わなくて喧嘩ばっかりしていたよ、きっと。あんたがトレーナーにならなくて良かったよ」
私 「そうかなあ、今だってこんなに仲いいんだから、きっとうまくやっていたよ」
ムッシュ 「・・・あんたがそう思うなら、そうかも・・・」
ムッシュの小指に注目 (撮影5/31)
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