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2010 #09

〜燃える“技あり!”開成調教師・・・矢作芳人〜

 昨年47勝を挙げて、関西のリーディングトレーナーになった矢作芳人調教師を祝うパーティーが年の初め、六本木ヒルズで行われました。もちろん私も、“芳人”をお祝いするためそのパーティーに出席したのですが、なんと嬉しいことに(ハハ、ウソです)オープニングのスピーチまで頼まれたのです。しかも、頼まれたのはパーティー当日の競馬場で。ああ、何とかしなくちゃ!と、うちの馬が出走している最終レースも見ないで一目散にホテルへ戻り、スピーチの内容を考えました。そして本番10分前までトイレに閉じこもってスピーチの練習。大変だったんですよ、芳人君!!

「今の芳人君の活躍を一番喜んでいるのは、亡くなったお母様でしょう」
スピーチの冒頭で、そう言わせてもらいました。芳人の母・滝子さんが亡くなったのは2007年6月のこと。彼の初勝利とその後の活躍を見届けて亡くなりました。笑顔のやさしい、とても素敵な方でした。
 滝子さんのお兄さんは栗東の坂田正行調教師(2003年2月引退)。1971年に天皇賞(秋)、有馬記念を含め、重賞6勝の成績を挙げた女傑トウメイを管理していた偉大な調教師です。東京生まれの芳人が栗東で開業したのも、母・滝子さんの出身が大きく影響したのではないでしょうか。

サウンドザビーチのTCK女王盃口取り。
勝浦騎手の隣が矢作和人調教師

 2007年1月24日の大井競馬場。この日のメインレースは牝馬の交流重賞GIII・TCK女王杯。千代田牧場生産で父飯田正所有のサウンドザビーチ(父アフリート、 母ナギサ)が出走していました。父と母が大井競馬場に行くのは久しぶりのこと。サウンドザビーチはトーセンジョウオーを破り見事初重賞勝ちを飾りました。その時、優勝の口取りに加わっていただいたのが、大井競馬の矢作和人調教師。芳人のお父さんです。
「矢作先生、ご無沙汰ですね。千代田牧場をお忘れですか?」
と、母が声をかけると、
「それは千代田さんの方でしょう。どうぞ矢作厩舎をお忘れなく」と和人氏。
思えばこれが、父飯田正にとって生涯最後の口取りになりました。2007年11月に亡くなった父に関する楽しい思い出であると同時に、芳人との“深い縁”のようなものを感じる出来事です。父の葬儀には、通夜・本葬とも、和人氏と芳人お二人で顔を見せて下さいました。

現在5勝を挙げるアルトップランと
矢作芳人調教師(右端)
 母・滝子さんの兄である坂田正行調教師同様、父・和人氏も地方競馬に多くの功績を残した偉大な調教師です。昨年、調教師という肩書きは返上しましたが、地方競馬全国協会会長を長年に渡って務めた時の人望、信頼は今も変わることなく、多くの人に尊敬され、頼りにされています。私も小さい頃からたくさんのことを教えて貰った師匠として、頭が上がりません。つまり、私にとっての“矢作先生”は矢作和人調教師であり、矢作芳人調教師は“芳人”になってしまうのです。

 現在、大井競馬場ではナイターレースが行われていますが、その実施に当たり、力を尽くしたのも矢作和人調教師でした。これまで、矢作和人調教師にはたくさんの千代田牧場生産馬を預かって頂きましたが、その代表は2004年11月に大井のハイセイコー記念(2歳オープン)を優勝したトウケイファイヤー。このとき2着のハリケーンストームも千代田牧場生産で、こちらは父飯田正がオーナーでした。そして矢作和人厩舎所属。このレース、矢作和人厩舎所属千代田牧場生産馬のワンツーだったのです。“職人”矢作和人調教師は、千代田牧場生産馬を見事に仕上げ、良いレースをさせてくれました。
NHKマイルC2着のダイワバーバリアン。
左から矢作芳人調教師、父の和人氏
   そんな立派な父親を見ながら育った芳人は、当然、自分も馬の世界に、と思っていたようですが、ご両親は反対だったようです。ですから、芳人は慶応中学と開成中学を受けて、両方に受かり、開成に進みました。開成中学・高校は都内にある男子校で、1982年から2009年までの28年間、東大合格者数連続日本一という日本屈指の名門校です。芳人も学生時代は弁護士を目指していたということですが、親の目論見を見事に裏切り、馬の道へ。
「馬をやるからにはJRAで勝負しなさい」
と和人氏に言われた芳人は、高校を出るとオーストラリアに馬を勉強するために向かいます。和人氏と芳人のお姉さんが、芳人を空港で見送ったその日、その報告のために、千代田牧場に立ち寄ってくれました。  その後、芳人は1984年に競馬学校厩務員過程に入学。いくつかの厩舎で調教助手を務めた後、2004年に調教師の免許を取得しました。

  2005年3月に初出走、初勝利を挙げた矢作芳人厩舎には、これまで8頭の千代田牧場生産馬がお世話になっています。そのうちの4頭がオープン。オープンですよ!皆さん、これはすごいと思います。昨年6月に引退した私の馬、エイムアットピップは2007年の阪神JF(G1)で3着。今も現役のオープン3頭は、まずアルトップラン(20戦5勝。G2東海S3着)、トシギャングスター(9戦2勝、G3ファルコンS2着。ちなみに1着は千代田牧場生産のエーシンホワイティ)、そしてG1NHKマイルC2着のダイワバーバリアン(9戦2勝)です。

 上記4頭以前に、芳人が選んで連れて行った、最初の千代田牧場生産馬は、2003年生まれのゴールドステイブル、父はピルサドスキーです。その頃、ピルサドスキーは決して人気のある種牡馬という訳ではありませんでした。産駒成績もぱっとしていなかったので、和人氏も、 「大丈夫か、芳人?」と思わず心配したものです。 しかしゴールドステイブルは25戦3勝という立派な成績を残しました。この成績は馬の素質もさることながら、芳人が父・和人氏から受け継いだ調教師としての才能が発揮された“技あり”の結果だと思います。“職人”和人氏は、脚部に不安のある馬は自分でバンテージを巻いてました。エビの馬なども、何とかごまかして走らせてしまいました。ですから、その馬たちが牧場に帰ってくると大変なんです。既に末期症状なんですから(笑)。また、60歳を過ぎてもゲートの悪い馬を自分で乗りこなしていました。千葉の牧場に来られた時に、うちの馬を見て頂いたことも度々です。芳人にもそのひたむきな情熱と、職人としての技、さらに一本筋の通った頑固さが、十分過ぎるほど伝わっているようです。

千代田牧場出身ではありませんが、矢作芳人厩舎を代表するオープン馬スーパーホーネットを、4歳と5歳の冬だけ千葉で預かったことがあります。香港マイルに5着した後の冬(2008年)も、うちの牧場で休養しました。
「正剛さん、スーパーホーネットを千葉で預かってもらえませんか?」
「えー?責任重いからいいよ・・・。うちのやり方で調教するけど、それでもいい!?」
「ええ、よろしくお願いします」
休養明けの4月、スーパーホーネットはマイラーズCを優勝しました。芳人の千代田牧場への信頼に応えることが出来て、とても嬉しく思いました。

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 高校を出て、自分から馬の道を志した芳人はフランスのドーヴィル、イギリスのニューマーケットなど、世界中のセリを渡り歩いています。アメリカのセリにも必ず出かけます。「あいつも熱心だな」と現地で顔を合わせるたびに思います。今年のキーンランド・セプテンバーセール、不景気のアメリカは相変わらずの買い手市場でしょう。・・・ひょっとして芳人、狙っている馬がいるのかな・・・?だめだめ!アメリカは勉強。馬を買うなら千代田牧場だぞ!

P.S. 物書きのプロのことを書くのは非常にくたびれます。こちらは素人ということで、芳人君、笑ってやって下さい。何なら添削をしてもらっても・・・。今後ともどうぞよろしくお願いします。

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