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2012 #2

〜私の初クラシック・・・スマイルトゥモロー〜

 10年前の5月19日。競馬を終え、東京から北海道の牧場に戻った私を迎えてくれたのは、事務所にあふれるお祝いの花と、花に埋もれて立つスタッフたちでした。
 スマイルトゥモローがオークスを勝ってから10年になります。彼女の物語はさかのぼること46年前、1966年のニューマーケットのセリから始まります。

 当時、私の父は毎年11月末から12月に行われるニューマーケット(イギリス)のセリに出かけていました。出かけたら3週間〜1ヶ月は戻りません。ですから、その頃まだ小学生だった私の誕生日に父が家にいたことがないのです。食料を買い込み、数人の仲間とまるで合宿生活のようなホテル住まいの中で馬を探す。そんな父の目に留まったのが1957年生まれ、鹿毛のウエルシュテイツトビツト(父Owen Tudor 母Morsel by Distinctive)でした。何せ46年前の話です。馬の輸送は船。日本に着くまで約3週間、4メートル四方の木箱に入れられての長い船旅でした。流産などの事故も多々あったようですが、ウエルシュテイツトビットは無事、横浜港に到着しました。彼女のお腹にはRight Boy(父Impeccable by His Highness by Hyperion)の仔が入っており、翌年日本で生まれたその牡馬はブラックシュワンと名付けられました。
 まだ北海道に拠点を構える前、生産も千葉で行っていた頃の話です。青毛のブラックシュワンは生まれたとき黄疸で、丸一日、乳を飲ませず様子を見守ったことを覚えています。その後は無事、立派な競走馬になりました。中央で20戦4勝、地方も含めると57戦5勝2着10回。1970年の東京競馬、六社特別(芝1800)に勝った時のジョッキーは故野平祐二さん、2着が弟の野平幸雄さんだったことをよく覚えています。

 オンリーフォアライフを父に1968年に誕生したのが、黒鹿毛の牝馬チハヤエンゼルです。そのチハヤエンゼルが1974年に産んだ牝馬がシルクベエンチア(父ヴェンチア)。そして1983年、シルクベエンチアとパーソロンの間に誕生したのが鹿毛の牝馬、シルクエンゼルです。
 シルクエンゼルは1988年にサウスアトランティックの牝馬、コクトビューティーを産みました。私の父がニューマーケットでウエルシュテイツトビツトに出会って22年、ようやくスマイルトゥモローの母、コクトビューティーが誕生したのです。コクトビューティーは1200ダートの新馬戦を4番人気ながら快勝。2戦目でGVクイーンCに挑戦しましたが、スカーレットブーケの12着に敗れました。その後は手堅く走り、26戦4勝2着3回という成績で繁殖となります。初年度産駒は英ダービー馬アーミジャーの牡馬ストロングアーミー。デビュー戦を新馬勝で飾りました。その後、牡馬を2頭続けて産みましたが、未熟仔が続いたり、いまひとつパッとしませんでした。

 そこで、実のところ「ホワイトマズルでも付けておこう」ということで生まれたのがスマイルトゥモローです。しかし、ヒザがオフセット(軸がずれている)で、脚元が心配・・・という仔でした。そんな時、牧場に立ち寄ってくれたのが、その年の3月に開業を控えた勢司和浩調教師。国枝栄厩舎の助手でしたので、私とは良く知った仲です。実は勢司厩舎には別の馬を預かってもらうことになっていたのですが、その頃になって動きの良さが目立ってきたスマイルトゥモローを、開業祝いとして代わりに預かってもらうことにしました。

 2001年9月に入厩したスマイルトゥモローは10月の福島の新馬戦を4着、2戦目で勝ち上がります。3戦目は12月16日、中山のGVフェアリーSに挑戦しますが、サーガノヴェルの11着と惨敗。4戦目は年が明けて3月の中山、500万特別の黄梅賞。それまでに3回も除外となっていたため、毎週の追い切りで馬体はレース当日430キロまで落ちていました。いずれにしろこの後は放牧と決めて挑んだところ、2着に0.4秒差の快勝。実は鞍上は江田照雄騎手を予約していたのですが、急遽、吉田豊騎手にお願いすることになり、この勝利が吉田豊騎手の通算400勝目となりました。

   放牧の予定も急遽変更。2週間後のGVフラワーCに出走することになりました。手綱を取ったのは岡部幸雄騎手。中団からまくって、3角手前で先頭に立ったスマイルに「掛かっちゃった!」と青くなりかけましたが、そこはプロの職人技でした。しっかり折り合いがついていて、直線はそのまま0.4秒差をつけて重賞初制覇。後で聞いた話ですが、調教師は「掛かる馬なのでスムーズに行ってもらえれば」とだけ伝えたそうです。3角では私と同じように焦ったそうですが、戻ってきた岡部騎手の「これでいいのか?」という余裕のある言葉にただただ感服したそうです。

 師には、「勝っても西へ行けとは言わないから」と約束していましたが、こうなったら4月の阪神に行くしかありません。放牧の予定がなんとクラシック路線を走ることになったのでした。桜花賞は絶好の1番枠でしたが、出遅れてしまい、結果は6着。そして5月の東京、オークスは家族全員で応援に行きました。ドキドキの最高潮は最後の直線。4角ではまだ最後方にいたスマイルトゥモローが馬群を割って飛んできて、先頭でゴールイン!勝ってしまいました!

 早く彼女を出迎え祝福したい。そう思いながらもたくさんの方から握手攻めにあい、下に降りるエレベーターに乗ることができません。検量室前に戻ってきた馬上では吉田豊騎手が私の姿を探していたそうです(実はオークスの前に、東ではなく西の豊が騎乗する話があったのです)。やっとのことで検量室前にたどり着いても、まだまだ興奮していて上の空。池江泰郎調教師が「おめでとう!」と声をかけて下さったのですが、池江厩舎のチャペルコンサートが2着だったことに気づいたのは後のこと。後日、先生からドンペリが届き、懐の大きさに恐れ入りました。  

レース後の乾杯 勢司師と花一杯の事務所で 牧場スタッフたち(週刊Gallop提供)

あれから10年、その間にもたくさんの馬たちが頑張ってくれていますが、あと少しGIに届いていません。先日、10年間に2頭ものダービー馬を輩出したカントリー牧場の土地を譲り受けることになりました。オーナーであった谷水氏に感謝するとともに、名門牧場の歴史と誇りを、当場がしっかりと引き継いでいきたいと思います。

スマイルトゥモローの子供たちにも、千代田の歴史を作っていく名馬の一員となって欲しい。
今後とも皆様のご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。

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