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2014 #11

千代田を生んだ名牝〜千代田マサコ

 大正15年10月31日生まれ、千葉県多古町生産の牝。

 今年88歳になった私の母、飯田政子のことです。
母は造り酒屋の長女として生まれました。祖父飯田武が、当時の千代田村(現在の芝山町)に牧場を譲り受けたのが昭和20年。母が19歳の時でした。母曰く「女学生のころは優等生だったのよ」。二人の兄がいましたが戦死してしまい、後継ぎは母だけ。家族は牧場の隣町に住んでいたため、このままでは農地解放によって牧場の土地を失ってしまう。そこで、母が一人、牧場に住み込んで切り盛りすることになりました。現在の千代田牧場の始まりです。

 当時の牧場といえば荒くれ者もいたようですが、母は大奮闘し、経営を軌道に乗せていきました。
「馬車を運転してね、獣医の先生のところに毎晩、馬の勉強に通ったのよ」
授業に通う中で出会ったのが、獣医だった父の正です。本だけでなく、背中で感じて分かるために、乗馬の特訓もしました。馬に跨り追い運動をする母の姿を覚えています。

父は優れた牝系が牧場の要だと考え、積極的に海外から繁殖牝馬を導入しました。しかし、本格的な馬産を行うには千葉の牧場では手狭です。考えた母は、父に言いました。
「千葉だけではだめ。北海道に牧場を作らなければ、千代田の未来はないわ。」
「では、あなたが北海道に行って、土地を探して来て下さい。」
「えっ、女の私が行くのですか?」

 あなたが行きなさいという返事には母もびっくりしたようです。一度言ったことは変えない父ですから、母は「今、私が行かなければ後はない」と一大決心し、北海道へ向かいました。土地を決めた帰りの千歳空港で、成田空港建設の閣議決定のニュースを聞いたそうですから、まさに北海道進出の絶好のチャンスでした。
 母が考えた土地選びのポイントは、学校が近くにあること。スタッフが定着するには、安心して子育てできる環境が必要だと考えたのです。いろいろ見て回った結果、2つの学校に挟まれたこの場所しかないと、女の直感で現在の地に静内本場を構えました。昭和41年、母が40歳の時のことです。今、千代田で生まれた子供たちがはしゃぎながら学校に行く姿を見るたびに、母の決断は正しかったと思います。

 静内に牧場を構える前の昭和36年、父は初めてニューマーケットのセリでグッディツウシューズGood Day to Shoesという繁殖を買いました。お腹に入っていたTabounの牝馬は柏台牧場の相馬氏に買って頂き、ストローベリーと名付けられました。父Tabounは供用2年で早逝したため、残した産駒はわずかでしたが、ストローベリーは3歳Sと4歳牝馬Sに勝ち、安田記念を3着と活躍しました。

 こんな父と母に育てられた私ですから、物心ついた頃から馬一筋で、小学校3年の時、千葉から種付けに向かう繁殖牝馬と一緒にこっそり貨車に乗って北海道に来たことがあります。もちろん父も母も大慌ての大騒動に。その時、繁殖牝馬と一緒に居候させてもらったのが柏台牧場でした。ストローベリーの縁です。その後まもなく、静内に牧場を構えたので、私が貨車に隠れることもなくなりました。

 母は今でも馬と一緒にいたいからと、牧場内を歩き回っては馬の様子に目を光らせています。お産の時期には北海道からの報告を心待ちにし、セリがあれば結果をチェックし、海外セリで競り負ければ「このボンクラ!」と私を怒鳴り、競馬に勝てば歓喜の舞い。
「人が1cmでも前進すれば、馬は大きく飛ぶんだ」
と、今日も元気いっぱいです。私も頑張らないと!



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