スターマイライフ
~ Star My Life ~

 当場生産馬サークルオブライフの阪神ジュベナイルフィリーズ優勝に際しましては、レース直後よりたくさんのお祝いのお電話やメッセージをいただきました。改めまして、皆様に心より御礼申し上げます。
 黄色地に六文銭の勝負服でのGI勝利は、父・飯田正がピースオブワールドで同レースを制して以来19年ぶりです。今、私が引き継いでいるこの服色は、もともとは飯田正の出身地・長野県佐久市にゆかりのある真田家の家紋を模したものでした。

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 サークルオブライフの三代母であるスターマイライフが牧場にやってきたのは1995年。姉に米国のGⅠを11勝し、年度代表馬(その後殿堂入り)に選ばれたLady’s Secretを持ち、父はStorm Catという芦毛の1歳牝馬が、当時行われていた米国キーンランドのジュライセールに上場されました。


スターマイライフの系譜

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 とても買える値段ではないだろうと思っていましたが、じつは種子骨炎があったため、35万ドルで落札することができました。無事に調教を重ねて、美浦の古賀史生厩舎に入厩。師の紹介で当時馬主になったばかりの星野氏と共有という形をとりました。スターマイライフという名前は、オーナーの名前にちなむと同時に、この馬を基礎繁殖として牧場の牝系を発展させたいという私の夢も表しています。デビュー戦は4着。掲示板を外さず、4戦目を7馬身差で初勝利。昇級初戦も2着に来たのですが、6戦1勝で繁殖入りしました。

 いかにも牝馬が活躍する血統らしく、スターマイライフの産駒は6頭すべて牝馬。そのうちの1頭は未熟児で、生後の体重は40kgに満たず、被毛も生えていませんでした。2005年に6頭目の仔を産んだ後は不受胎、死産をはさんでまた不受胎。
 それでも私がスターマイライフにかけた最後の夢として、2007年、供用初年度のディープインパクトを種付しました。それも秋です。春の種付で不受胎だった後に、南半球生まれにする計画で秋に種付。結局は不受胎でしたし、同時期に馬インフルエンザが流行したため、輸出も不可能になってしまったのですが、思い切ったことをしました。

 スターマイライフが2004年に産んだ5番仔が、本馬の祖母プレシャスライフ(父タイキシャトル)です。中央デビュー戦は終始後方で大きく遅れての最下位。名古屋に移籍して6戦5勝の成績を挙げ、中央再転入するも1戦のみで繁殖入りしました。
 その2番仔が本馬の母のシーブリーズライフ(父アドマイヤジャパン)です。2歳の夏に新馬勝を挙げるとOP特別のカンナSを2着、福島2歳Sを3着ときて、年明けのクロッカスSに優勝。GⅡフィリーズレビューを5着。古馬になって3勝目を挙げた後に蹄をケガして休養、復帰はなりませんでしたが、無事なら上のクラスでも十分戦えただろうと思います。ちなみにシーブリーズライフにはマイルは長過ぎて、アルテミスSは16着、桜花賞は12着でした。

 さて、その父のアドマイヤジャパン。結果的に不受胎だった馬や配合変更した馬も含めると、初年度は4頭、2年目は9頭、3年目は5頭、4年目は10頭に種付しましたから、おそらく私のところが一番種付した牧場だと思います。
 初年度はエクセレントピーク(現繁殖)が2勝、プレミアムパスが平地1勝、障害1勝を挙げました。3年目にシーブリーズライフ。4年目のダンツキャンサー(初年度のエクセレントピークの全妹)は新馬勝、マーガレットS-OPなど4勝を挙げ、クイーンS-GⅢ3着、障害でも2勝を挙げる息の長い活躍をみせました。
 種牡馬としては決して成功と言えず、父としても母父としても、市場的には「アドマイヤジャパンか…」と言われてまったく受けませんでしたが、母方に入ったビワハイジの血がいつかきっと活きてくる、と自分に言い聞かせて十余年。母父アドマイヤジャパンは、今回の勝利で強調したいポイントのひとつです。

 このようにして、スターマイライフから4代を経たサークルオブライフ。「命の輪」というこの牝系にぴったりの名前は、いつも千代田牧場を応援して下さっている方からいただいたものです。馬もその期待に応えてくれました。来春も無事に大舞台を駆け抜けてくれることを願っています。


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 未熟児で生まれたスターマイライフの3番仔は…。
 標準サイズの新生児は起立すると頭よりも母馬のおっぱいが低い位置にあるので、クビを傾げるようにしてお乳を飲みます。この仔は起立してもおっぱいに届かず、スタッフが2人で抱っこしてお乳を付けました。被毛が生えそろっていないため、体が冷えないよう保温に気を使い、馬服はベテランパートの門脇さんが特注サイズのものを成長に合わせて作ってくれました。その後、その馬服は門脇さんの飼い犬の防寒着になったといえば、いかに小さかったかお分かりいただけるでしょう。パドックに出られるようになると、お母さんのお腹の下を走ってくぐり抜け、横になると柵の下をくぐり抜けるため、パドックには下柵を1本追加。離乳して同世代の仔たちと分場へ移り、マーメイドと名付けられて、別の牧場さんで繁殖牝馬になりました。初仔を産み、残念ながら2年目のなかばに疝痛で亡くなったそうです。

 系譜図に載らない馬も含めて、たくさんの命の輪がつながって、今日の活躍馬の存在があります。



スターマイライフと初仔ホシノキンカ(1999年)